歴史の終わり

散々、この1ヶ月言ってきたが
笑っていいとも!が2014年3月31日
32年という長い、あまりにも長すぎる
歴史に幕を閉じた。
私自身テレビっ子であり
物心ついたときからテレビに夢中になっていた
今ではそんな世界に飛び込みたい
そんなことを思いながら
テレビ・ラジオにかぶりついている
あまり人前では公言してはいないが
テレビばっかり見てる。
かなり多くの人間の影響を受け
今の自分の思想が生まれていると
自分でももちろん思っている。
爆笑問題 太田光はテレビが一番面白い
とことあるごとに話しているが
私はその意見にとても賛同している。
テレビは本当に面白い。
いろんなプロダクション、ディレクション
面白くなったり、つまらなくなったりと
「生き物」であるテレビがゆえに
そのような評価のされ方はする
しかし、それが面白いのである。
今日の笑っていいとも!感謝の超特大号
まさしくテレビの「生き物」っぷりを見た
奇跡としか思えなかった。
自分の好きな芸能人があれほど一同に会することが
近年のテレビであっただろうか?
私は信じられない
あの奇跡はあの番組だから
成しえたことだと思っている。
タモリ」という人間がそうさせたのだ
生放送にこだわり続けたあの番組の
素晴らしさが今日の3時間に全てが集約されていた。
久しぶりに感動した。
近年では毎年、「笑っていいとも!」は打ち切りになる。
そう言われ続けていた。
しかし、実際に終わりを迎えどうだろうか?
愛され続けた番組だからこそ
あの幕引きが生まれたのではなかろうか。
かなり思いつきでこの記事を書いているが
今日のこの日は忘れることができない
これから生まれてくる世代が
笑っていいとも!を知らないということが
私は悲しいというか勿体無いなと思う。
何故かと言われれば中々難しいが。
現役レギュラー陣からのスピーチの中の
笑福亭鶴瓶のコメントに非常に感銘を受けたものがあった。
タモリは港」、「笑っていいとも!に出ることを目指して頑張っている芸人たちが沢山いる、この番組に出れないのは可哀想、またタモリと出会える場を作ってくれ」
私は非常に嬉しかった。
テレビ、ラジオ業界に興味のある
私からすれば「笑っていいとも!」は
憧れであったことは間違いない
タモリという謎のカリスマに
魅せられた一人であるからだ。
支離滅裂な文章になったが
私が言いたいことは、
「テレビは面白い」
斜に構えて見てほしくない
「次何が起きるんだ?」そんな
ワクワクした気持ちで見て欲しい。
今、私はコピーバンドをしている
ステージに立つ時はそれは忘れることはしていない。
ステージに立つ人がいれば
それを見る人がいる。
見てる人を楽しませるには
まずはワクワクさせることから始めないと
視聴者はついて来ないのだ。
タモリは「リハ通りにするな」
ということを常々言っていたそうだ
私もその言葉に影響受けた一人だ。
そんなことを教えてくれた
タモリという人間、笑っていいとも!という番組
私にとっては忘れることも出来ないだろうし。
今の自分のモヤモヤした状況に
またケツを叩かれた、そんな一日だった。
これからもワクワクしたい、ワクワクさせたい。
そんな人間になりたい。
そう思える一日だった。
日々、精進。
まだまだやらなきゃならないことがある。

2014年3月31日